孫武苑 孫武苑草堂は山沿いに作られ、当時孫武が兵書を専念に著書したところである、草堂の前に竹筒から流れてくる山間の清泉があり、室内に古いベッド、古い腰掛、みのとかさ、鋤などの施設が設けてある、屋外に野菜畑と竹の亭がそれぞれ両側にある、これらは当時孫武の隠居生活を真似て作ったのである。孫武苑の外に孫子兵法の碑刻の廊下があり、碑刻廊下の全体敷地面積が1300余り平方メートルであり、「回」の字のようになっている。両側にそれぞれ将軍廊下と書道家廊下がある、将軍廊下にはわが国当時十六名の将軍の題辞が飾っている、書道家廊下には当時著名な17名の書道家の作品が飾っている。碑刻廊下の真正面東北側の高台に、「兵聖孫武」の青銅像が立っている、銅像の後ろに山沿いの兵聖堂が作られている。

 

 
上真観 上真観が初めて作られたのは東漢の初め、平年であった、今まで凡そ約1800年が経ていた。当該道観は蘇州地区だけではなく、江南地区全体においても極めて重要な道観でもある。記録によると、元の時代の末年、道観が火事に焼けたことがある。清の時代の順治年間になり、多彩、且つ伝説的な道士施亮生が資金を集まり、新たに上真観を作った。全盛期には、合計で建物5048軒、殿堂36箇所、観光名勝170箇所があった、当時、乾隆皇帝が江南を六回訪ね、毎回御道を歩き、上真観を参拝したという。ここに当時上真観の位置付けの重要性が見られている。残念ながら千年の風雨に打たれ、道観が何回か壊れたり、作られたりしたことがある。いま我々目の前にある建物は前世紀90年代に元の場所に新たに作られたのである。この十年間以来、政府関連部署と道教信者からのご支援の元で、頭山門、茅君殿、龍王殿、玉皇殿、望湖亭など一連の建物と観光スポットを復元してきた。

 

 
乾隆御道 御道は幅1.5メートルであり、硯華石で敷いた小道である、つまり乾隆御道という。穹窿山御道は蘇州ほかの御道と異なっている、一般の御道は皇帝だけのために設けられていた、路面が通常青いレンガで「人」との文字のようなパターンを作り、ここを歩く方が「万人の上」の君主であると意味する。ただし、穹窿山の御道がもともと通常の山石で敷いたのであるが、当時乾隆が穹窿山を六回訪ねた時に、いつもこの道を歩いたため、御道とも言われてきた、よって、ここの御道はもっと記念性を持っている。近年、観光地に御道従来の鉄竹亭、双膝泉、土地祠などの観光スポットを復旧しているため、古い御道は生き生きに変わって来た。

 

 
寧邦寺 歴史資料によると、寧邦寺が初めて梁の時代に作られたのである、以前「海云禅院」と言われていた。南宋紹興十二年に抗金名将韓世忠の部下がここに隠居し、参禅したため、「寧邦寺」に改名された、「寧邦」とは、平安、平和の国であり、国が平安になるように期待されていたという。お寺の前に石の獅子が一匹あり、この石の獅子が通常の獅子ではなく、貪欲無限がこの動物最大の特徴である、日月、星でも呑まれようという。この石の獅子は当時韓世忠軍隊に軍旗を挿す土台であった、兵士たちに貪欲しないようと警戒させたわけである。その後、韓世忠の部下がここに出家した時に、この寧邦寺に持ってきたという。

 

 

朱買臣読書台 わが国が歴史が長く、全国各地に「読書台」と称されるところが数多くある、例えば安徽省宿松の李白読書台、山東鄄城の曹植読書台などなど。その内に穹窿山の「朱買臣読書台」が最も伝説多彩と言われている、従い、わが国の五大名台の一つに選ばれている。たの読書台と異なっているのは、これが長さ約2.5メートル、高さ約1.3メートル、幅1.5メートルで、長方体の盤石に近い、人工加工の痕跡がまったくなく、完全な天然物である、その上に「漢会稽太守朱公読書之処」と刻まれている。この「朱公」は、つまり朱買臣であり、西漢時代の名臣であった。けれども、彼は実に大器晩成な人物である。当時彼は出身が貧乏であったが、読書に夢中になり、時間が有る限り読書ばかりであった。当時の書籍が竹で作られたので、一冊の本が大きな束になり、かなり重かった、柴刈り又は柴売買の時に持ち歩くとかなり不便であった。そのために、朱買臣は奥様に良くからかわれていた。それで彼は書籍を家や市場に持っていかずに、山に柴を刈り取りする場合、いまの「読書台」に密かに本を読み、帰りにまたその本をこの石の下に隠すという。朱買臣は最後にようやく大物になった、彼のことを記念するために、この石を「朱買臣読書台」と命名した、地元の郷鎮がこれを「蔵書」と命名したという。


蘇州呉中区穹窿山風景管理区管理委員 蘇州呉中旅游発展有限会社

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